「干支」について - 十干×十二支=干支
年末年始は一年の中で最も「えと」が注目される時期です。現在の日本では「えと」というのはもっぱら「十二支」のことだけを指すようになっていますが、本来は「えと」は「干支」であり、文字通り「十干」と「十二支」の組み合わせのことを言います。
- 十干:甲(コウ/きのえ)・乙(オツまたはイツ/きのと)・丙(ヘイ/ひのえ)・丁(テイ/ひのと)・戊(ボ/つちのえ)・己(キ/つちのと)・庚(コウ/かのえ)・辛(シン/かのと)・壬(ジン/みずのえ)・癸(キ/みずのと)
- 十二支:子(シ/ね=鼠)・丑(チュウ/うし=牛)・寅(イン/とら=虎)・卯(ボウ/う=兎)・辰(シン/たつ=龍)・巳(シ/み=蛇)・午(ゴ/うま=馬)・未(ビ/ひつじ=羊)・申(シン/さる=猿)・酉(ユウ/とり=鶏)・戌(ジュツ/いぬ=犬)・亥(ガイ/い=猪)
十二支のほうは現在も広く使われて馴染みがありますが、十干のほうはあまりかえりみられなくなりました。今年(平成29年)が十二支の酉年であることは誰しもご存知でしょうが、十干と組み合わせた「丁酉(ひのとのとり/テイユウ)」の年であることはほとんど知られていません。
十干も十二支も、殷代(紀元前17~11世紀)の中国で生み出され、その当初はただの符号だったと思われますが、その後に発生した陰陽五行説と結びつけられたり、十二支に十二種類の動物が割り当てられたりして、いろんな意味が付け加えられるようになります。十干はすべてが五行(木・火・土・金・水の5つのエレメント)のどれかに属し、さらに陰・陽の区別がされます。たとえば「甲」は「きのえ=木の兄」つまり、「木というエレメントの陽の側」であり、「乙」は「きのと=木の弟」すなわち「木の陰」、同様に「丙」は「ひのえ=火の兄」で「火の陽」、「丁」は「ひのと=火の弟」で「火の陰」・・・・・という具合です。十二支のほうには秦漢の頃に動物が割り当てられるようになりますが、どういう経緯でこの十二種類の動物が選ばれ、この順番で割り当てられたのかはよくわかっていません。ただ、動物という具体的なイメージを得たことで、十二支のほうが十干よりも広く親しまれて民間に定着し、十干が忘れ去られた今でも十二支が生き残る要因となっています。
「干支」は十干と十二支の組み合わせですが、「甲子」の次は「乙丑」というように十干と十二支の両方ともが交替していく上に、10と12の両方とも偶数であるため、すべての組み合わせ(10×12=120種類)が成立することはなく、そのうちの半数60種類だけで一周してしまいます。つまり、「甲」「丙」「戊」「庚」「壬」は「子」「寅」「辰」「午」「申」「戌」としかペアにならず、「乙」「丁」「己」「辛」「癸」は「丑」「卯」「巳」「未」「酉」「亥」としかペアにならないので、5×6×2=60種類というわけです(冒頭の表をご覧ください)。
このように干支はいわば60件のユニークコードであり、古来これを使って年や月、日があらわされてきました。ある年が甲子であれば次の年は乙丑、その次の年は丙寅、さらにその次は丁卯・・・・という具合に進み、60年後にはまた甲子に戻るというわけです。したがって、数え年61歳の年は生まれた年の干支に戻ることになり、これを「還暦」といいます。つまり還暦を迎えるのは干支が交替する正月元旦であって、誕生日ではありません。
干支による年の表記は現在ではすっかり馴染みが薄くなってしまいましたが、歴史を学ぶ際にはよく見かけることになります。「乙巳の変(大化の改新、645年)」、「壬申の乱(672年)」、「天正壬午の乱(1582年)」、「戊午の密勅(1858年)」、「戊辰戦争(1868年)」、「戊戌変法(中国、1898年)」、「辛亥革命(中国、1911年)」「甲子園の開園(1924年)」など、いずれも事柄が起こった年の干支が使われています。また、古人の日記や詩でも、干支による年の表記が常用されていました(例:勝海舟「丙寅初秋題神戸海軍舊趾」、伊藤博文「丁卯初夏與石川等諸兄話時事席上即賦一 絶以呈」、高杉晋作「庚申歳暮」、福澤諭吉「丁酉元旦」・・・などなど)。
このように、干支による年の表記ははるか遠い昔、神武創業よりもさらに古い時代から、連綿と途絶えることなく続いてきたものです。これだけ長く続いてきたものが自分の生きている時代に消え去ってしまうのはもったいなさすぎると思います。どうか、十二支だけでなく、十干と組み合わせた本来の「干支」のことも、時々思い出してあげてください。
干支は非常に興味深い符号だと個人的には思いますが、所詮は符号にすぎません。生まれた年の干支によって、その人の人格や運命が左右されるなどということがあろうはずもありませんし、その年の干支によって政治や経済の行方が決まるわけもありません。そのような下らない迷信(例:丙午生まれの女性は気性が激しく夫を短命にする、など)については、消えてなくなったほうが世の中のためでしょう。同じ干支の年は60年ごとに機械的にやってくるのであって、同じ干支の年同士に何か特別な関係があろうはずもありません。・・・が、そうは言っても、これだけ干支の話をしてみると、やはり、今年と同じ干支「丁酉」の年には、過去にどんなことが起きたのか、気になりませんか? というわけで、次の記事では過去の「丁酉」の年はどんな年だったのか、見てみたいと思います。
・歴史上の「丁酉(ひのとのとり)」の年を振り返ってみる
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