歴史上の「丁酉(ひのとのとり)」の年を振り返ってみる

2017年1月8日日曜日

歴史


「干支」について説明した記事の最後で予告したとおり、過去の「丁酉」の年に起こった出来事を振り返ってみることにします。

「干支」について - 十干×十二支=干支

1177年(安元3年) 鹿ケ谷の陰謀

後白河法皇とその側近らが平家打倒を計画したとされる事件です。平清盛は西光・俊寛・藤原成親らをとらえ、斬首・流罪に処しました。現在では、実際に陰謀があったかどうか疑問視する見方も多く、平家と対立を深めつつあった院近臣を排除するために清盛がでっちあげたともいわれます。清盛は後白河法皇については不問に付しましたが、側近を奪われた法皇は平家への不満と警戒を強め、両者の対立はその後次第に深刻化していき、治承三年の政変(1179年、清盛が軍事力によって後白河の院政を停止したクーデター)へとつながっていきます。

1297年(永仁5年) 永仁の徳政令

鎌倉幕府第9代執権北条貞時が発令した、日本で最初の徳政令。御家人が所有地を売買したり質入れしたりすることを禁じ、すでに売却・質入れされた御家人の所領は、無償で元の所有者に返還すること(いわば債権放棄)を命じたものです。当時窮乏していた御家人を一時的に救済する効果はありましたが、しかし、御家人の困窮は、分割相続による所領の細分化という社会制度の問題や、貨幣経済の進展という経済構造の変化によるものだったので、徳政令という一時しのぎの対策では解決は困難であり、根本的な対応・対策を見いだせなかった幕府体制は崩壊へ向かうこととなります。

1477年(文明9年) 応仁の乱終結

多くの有力守護大名が参加して約10年続いた内乱が一応終結しました。主戦場となった京の都が壊滅的な被害を受けて荒廃しただけでなく、対立は地方へも飛び火し戦乱は全国へ拡大しました。長期・広範囲にわたる抗争により、幕府も守護大名も疲弊して力を失い、従来のヒエラルキーが崩壊して「下剋上」の風潮がひろまって戦国時代へ移行するきっかけとなりました。

1597年(慶長2年) 慶長の役

天正20年(1592年)、豊臣秀吉は明国の征服を目指して朝鮮へ出兵し、朝鮮軍および明からの援軍と戦闘をくりひろげ、文録2年(1593年)にいったん休戦となりました(文録の役)が、講和交渉が決裂したため、慶長2年(1597年)に再出兵となりました。慶長の役では全羅道・忠清道へ侵攻したあと、沿海部へ撤収して城郭群による防衛ラインを築き、占領地域の恒久支配を計画したものの、慶長3年8月に秀吉が死去したため、幼い秀頼を擁する五大老により撤兵が命じられ戦争は終結しました。

1657年(明暦3年) 明暦の大火

江戸三大大火のひとつであり、延焼面積・死者数ともに江戸時代最大の大火災。1月18日(旧暦)に出火した後、20日まで燃え続け、外堀以内のほぼ全域が被災しました。江戸城の天守閣もこの大火で焼失し、以降、今日まで再建されていません。この大火からの復旧を契機に都市改造がおこなわれ、江戸の市街地が郊外へ拡大していくことになります。

1717年(享保2年) 大岡越前が町奉行に

大岡忠相(大岡越前)が江戸南町奉行に着任。元文元年(1736年)に寺社奉行に異動になるまで約20年間、南町奉行をつとめ、町火消しの創設による防火体制強化や、小石川養生所設置による貧病人救済などの功績から庶民の人気が高く、数々の名奉行伝説が創作され、講談などで広まりました。

1837年(天保8年) 大塩平八郎の乱

大坂東町奉行所の元与力大塩平八郎が、天保の大飢饉により困窮する庶民を救済しようとしない幕府と、不当に利益を独占する豪商を批判して武装蜂起しました。反乱そのものは半日ほどで鎮圧されましたが、元与力が幕府の最重要直轄地大坂で反乱をおこしたという事実は、各所各層へ衝撃を与え、のちの幕末の志士たちにも大きな影響を与えることになります。

1897年(明治30年) 金本位制施行

金本位制は、中央銀行が金(gold)との交換を保証した兌換紙幣を流通させて貨幣価値を金で裏付けする制度です。19世紀末の時点で、欧米先進国はそろって金本位制を採用しており、国際的に確立した制度となっていました。日本は維新後、1871年に新貨条例を定めて金本位制を採用しましたが、金準備高が十分でない上に、経済基盤の脆弱さによって金の流出が続いたため、明治11年の改正で金銀複本位制に移行、実態としては銀本位制となっていました。日清戦争(1894~1895年)の勝利で清国から得た多額の賠償金により金本位制を維持するのに十分な金を準備できることになったため、明治30年(1897年)3月に金本位制を主軸とする「貨幣法」を公布、10月に施行して、ようやく名実ともに金本位制が確立しました。なお、現在では各国は管理通貨制度を採用しており、金本位制は過去のものとなっています。

1957年(昭和32年) 岸信介内閣成立

岸信介は安倍晋三現首相の祖父。病気のため辞任した前任の石橋湛山の後継指名を受け、国会の指名を経て2月首相就任。5月にはアジア歴訪(インド・パキスタン・セイロン・タイ・台湾)、6月には訪米してアイゼンハワー大統領と会談、日米安保条約改定の必要性を訴え、米側に検討を約束させました。12月には再度のアジア歴訪(オーストラリア・フィリピン・インドネシア)をおこなっています。以後、在任中は日米安保条約の改定を目指し、1960年6月19日に新安保条約を成立させましたが、激しい反対運動を引き起こして混乱を招いた責任を取るかたちで辞任しました。

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いかがでしょうか。まあ、干支が同じというだけのことですから、実際に何かつながりがあるとか、共通点があるとかいうことはないと思います。ただ、歴史を振り返るいいきっかけにはなるでしょう。次回の丁酉は2077年ですが、そのとき、前回の丁酉の年として振り返る2017年はどんな年になるでしょうか。いや、どんな年にするべきでしょうか。それを考える上でも、やはり過去は踏まえておかなければならない、と思います。