昨日(5月19日)、政府が天皇陛下の退位に関する可能にする特例法案を閣議決定し、国会に提出しました。これを受けて、読売新聞も今日(5月20日)の朝刊紙面で退位に関する特集記事を掲載しています。今朝、トイレでその記事を読んでいて、おかしなことを書いていることに気付きました。とりあえず、記事を引用してみます。
「明治天皇への皇位継承は幕末から維新への転換点と重なった。孝明天皇は1866年12月25日に崩御したが、明治天皇は14歳でまず摂政が置かれた。崩御の発表は4日後で、神器の剣璽が内々に移され、翌月9日の儀式を経て即位した。
大政奉還や戊辰戦争が続き、即位の礼は68年に京都御所で、大嘗祭は71年に東京の皇居で行われた。即位の礼は、唐風に見える礼服姿を束帯姿に改めるなど「復古」が演出された。」
何だこれ、と思いながらも、仕事に行かないといけないので、帰ってからゆっくり読み直すことにして、とりあえず家を出ました。

家に帰ってからあらためて読み直してみましたが、当然のことながら、記事はおかしなままです。そこで、どこがどうおかしいか、Mediumで記事にすることにしました。

みなさん、どこがおかしいか、お気付きでしょうか。

孝明天皇が崩御したのは、「慶應2年」12月25日(=1867年1月30日)であって、「1866年」12月25日(=慶応2年11月19日)ではありません。1866年12月25日には孝明天皇はまだ存命であり、発病もしていない時期です。旧暦(天保暦)と新暦(西暦、グレゴリオ暦)とは日付にずれがあり、年の切り替わりも一致しません。したがって慶應2年と1866年はかなりの部分が重なるものの完全に一致するわけではありません。現に、孝明天皇が崩御したのは天保暦では慶應2年ですが、グレゴリオ暦では1867年になります。このような場合に日付を正確に表記するには「慶應2年12月25日(1867年1月30日)」と書くしかありません。もちろん、旧暦と新暦のどちらか一方だけを書いてもかまわないでしょう。しかし、両方をごちゃ混ぜにすることは許されません。上記のとおり、全く別の日付になってしまうからです。

私も、大ざっぱに年だけを示したいときは、「慶應2年(1866年)」という表記をすることはありますが、これは「慶應2年(≒1866年)」ということであって、「慶應2年(=1866年)」ということではありません。しかし、この記者は「慶應2年」は自動的に「1866年」に置換していいのだと勘違いしてしまった上に、旧暦の月日を使用したために、「1866年12月25日孝明天皇崩御」という歴史を歪曲した記事を書くはめになってしまったわけです。「当時使われていた旧暦での日付で表記したい」と思うのであれば、「慶應2年12月25日」と書けばよいのです。「慶應といわれても読者にはわかりにくいだろうから西暦で表記したい」と思うのであれば、「1867年1月30日」と書くしかありません。どちらも捨てがたいと思うなら併記すればいいのであって、「慶應2年」を「1866年」に置換するなんて無茶苦茶です。

また、この記事には「明治天皇から3代の代替わり儀式」なる表が添えられているのですが、その表の横に「※明治天皇の日付は旧暦」という注意書きがついています。


どうやらこの記者は「1866年12月25日」とか「1867年1月9日」という旧暦表記があると思っているようなのです。つまり「新暦1866年12月25日」とは別に「旧暦1866年12月25日」というものが存在するというわけです。そんなアホな・・・・・。旧暦とは天保暦のことです。なんで天保暦に「キリストが生まれたとされる年から数えて1866年」などという紀年法が存在しうるでしょうか。普通に考えればわかりそうなものです。「明治天皇の日付は旧暦」という自らの注意書きに従うならば、「慶應2年12月25日」とか「慶應3年1月9日」と書くしかありません。何度も言いますが、「慶應2年」を「1866年」に置換することはできないのです。「1866年12月25日」と書けば「西暦1866年12月25日」のことに決まっています。「1866年12月25日」と書いて「慶應2年12月25日」を意味させることなどできるわけがありません。

「細かいことに目くじら立てるな」と言う人もいるかもしれませんが、この記事は歴代の先帝の崩御から新帝の即位にいたる流れを取り上げているのですから、年月日の記載は内容の根幹部分にほかなりません。その根幹部分について理解の乏しい(あるいは誤った理解を持つ)記者が誤った記事を書き、社内にそれを指摘する人もいないまま記事が公開されたことはやはり問題だと思います。よく、新聞は速報性ではテレビやネットにかなわないが、深く掘り下げた記事は新聞にしかできない、と言われます。私もそれには賛同しますが、しかし、まさに深く掘り下げた記事であるはずの今回の特集記事がこのていたらくでは、新聞の存在意義が問われるのではないでしょうか。新聞を愛する者のひとりとして、あえて苦言を呈したいと思います。