汎兮堂箚記 #2 『無私の日本人』(磯田道史)

2020年4月19日日曜日

汎兮堂箚記 歴史


書名

『無私の日本人』(電子書籍版)

著者

磯田道史

刊行

株式会社文藝春秋 2016年3月発行(電子版)(紙書籍単行本は2012年10月発行)

メモ

古文書読解の達人磯田道史先生の手による「穀田屋十三郎」「中根東里」「大田垣蓮月」という3編からなる短編集です。タイトルとなっている3人(「穀田屋十三郎」については十三郎だけでなく同志たちを含む9人が主人公ですが)はいずれも江戸時代の人物で、著者の磯田先生が「いまどうしても記しておきたい」と選んだ3人です。共通点は書籍タイトルのとおり「無私」つまり自分の利益を度外視して世の中や周りの人たちを少しでもよくしようと尊い努力を重ねながら「過激な清浄」を生きた無名の偉人であるという点です。中根東里と大田垣蓮月については完全に無名とは言えないかもしれませんが、一般的には無名といって差し支えないでしょう。

穀田屋十三郎

「穀田屋十三郎」はご存じの通り、映画『殿、利息でござる!』の原作となった作品です。映画には原作にない脚色もいくつかありますが、基本的に原作(そして史実)に忠実に作られています。18世紀の仙台藩領内で、吉岡宿というさびれた宿場町の住民の有志たちが、町を救うために「藩に金を貸して藩から利息を取る」という起死回生の奇策を思いつき、多大な自己犠牲を払いながらいくつもの困難を乗り越えて、ついにそれを実現させてしまうという物語です。物語ですが、作り話ではなく、「国恩記」という古文書に記された実話です。磯田先生は「国恩記」に記された内容に基づいて話を展開しながら、その中に、江戸時代とはどういう時代であったか、経済とはどういうものであるか、社会というものはどうあるべきか、ということについても語っているので、江戸時代に特別な興味や知識のない読者でも自然と話に入り込んでいけるようになっています。

「穀田屋十三郎」に描かれた吉岡宿の苦境は決して他人事ではありません。数十年後、早ければ十数年後には日本自体が吉岡宿のような状況におかれる可能性があります。そのとき我々日本人はどこからお金を取ってくるのか、そして「無私」の生き方で社会を支え、救うことができるのか、そんなことを考えさせられる短編です。

中根東里

中根東里は18世紀の儒学者で、超絶した学識と詩文の才を持ちながら、仕官を拒み、名利を求めず、清貧の中でひたすら学問に没頭し、人はどう生きるべきかということを追究しつづけました。「儒学者」というと前時代的で現代を生きる我々には関係のない人という印象を受けるかもしれません。僕個人としては、この人物を「儒学者」という肩書で呼ぶことに抵抗を覚えます。「経典に記された聖人の言葉は、真理という月を指し示すための指にすぎない。月を見ることができれば指は忘れてしまってかまわない」「この世のすべてのものは自分を含めて一体である」という彼の考えはもはや儒学の範囲を超えています。

おそらく当時最高峰の学識をそなえた人物だったはずですが、その文章も詩もごく一部しか残されていません。そのわずかに伝わる詩文をまとめた書籍として『東里遺稿解』という1974年に出た本があるのですが、現在ではまず入手不可能です。昔、ヤフオクで見かけたことがあったのですが、当然ながら非常に高価な価格設定で、僕もその当時は東里にそれほど興味もなかったので入札しなかったのですが、もし今出品されていれば是が非でも落札するでしょう。

大田垣蓮月

大田垣蓮月は江戸時代の後期から明治まで生きた尼僧・歌人であり、最終的には陶芸家にもなった女性です。この本に取り上げられた3人のうちでは一番有名な人物と言っていいでしょう。「蓮月焼」という焼物について見聞きしたことのある方は少なくないはずです。蓮月焼のほとんどが贋作(蓮月自身が製作していないという意味で)ですが、それらの贋作は蓮月公認の贋作なので、「贋作」と呼ぶのは適切ではないのかもしれません。「公認の贋作」とはどういう意味だ、と思った方はぜひ本作をお読みください。蓮月が歌を書きつけた短冊も、今にいたるまでたくさん残っていてヤフオクにもよく出品されています。こちらは贋作ではなく本物です。なぜ本物がそんなにたくさん残っているのか、これも本作を読めば理由がわかります。

蓮月は幕末には志士たちとも交流を持ち、西郷隆盛に江戸城総攻撃を思いとどまらせたのは蓮月の手紙と歌でした(磯田先生の見解によれば)。早く大河ドラマの主人公にすべきだと思います。大河ドラマには、何年かに1回は女性を主人公にするという不文律があるようですから、NHKにとっても持ってこいではないかと思うのですが。

3作とも印象的な終わり方で、歴史学者磯田先生の作家としての才能を感じるのですが、特に「大田垣蓮月」の最後は、蓮月を弔う村人たちと一緒に泣きそうになるはずです。