書名

『桂太郎 ― 外に帝国主義、内に立憲主義』

著者

千葉功

刊行

中央公論新社 2020年4月発行(電子版)(紙書籍は2012年5月発行)

メモ

この本の紙書籍版が発行されたのは、2012年5月です。そのため、巻頭の「はじめに」はこんな言葉で始まります。
明治から現代にいたる日本の歴代首相のなかで、最長の在任記録を持つ者は誰か。・・・(中略)・・・答えは桂太郎である。三度内閣を組織し、在任期間は二八八六日(約七・九年)を数える。この記録は、これからもおそらく破られることはないであろう
紙書籍版が出た当時にこの本を読んだ人は、上記の巻頭言を読んで、何の違和感も持たなかったでしょう。当時は旧民主党政権の末期で、第1次安倍政権以降の自民党政権とあわせて在任1年程度の短命政権が6代にわたって続いていました。在任期間7年を超える長期政権など今後も登場することはないと著者が思ったのも当然のことで、当時の読者も著者の言葉に同意したことと思います。

ところが、紙書籍版が出てから約半年後、政権交代によって首相に返り咲いた安倍首相は、現在(2020年5月)まで7年以上にわたって政権を維持し、2019年11月には、第1次政権の在任期間と合わせた通算在任日数で、ついに桂太郎の記録を破ってしまいました。「この記録は、これからもおそらく破られることはないであろう」という著者の予想は裏切られることになったのです。予想をはずしてしまった事実は隠したいのが人情の常というもので、電子書籍化する際にここの部分を削除するという選択肢もあったのではないかと思いますが、それをしなかったところに誠実さを感じます。

記録更新時の恒例として、安倍首相が桂太郎の在任記録を破った折にメディアは記録を破られた桂太郎を紹介していましたが、1世紀以上前の記録ということもあってか、世間的には桂への関心が高まることはほとんどなかったように見受けられました。たしかに憲法も統治機構も現在とは異なる時代の首相と現在の首相を単純に比較しても仕方がないのかもしれません。しかし、そのことを差し引いたとしても、1世紀前のこの長期政権とそれを率いた桂太郎という人物、そして彼が成し遂げた事績(今風に言えば「政権のレガシー」)について理解しておくことは、現在の日本がおかれた状況を考える上で非常に意味のあることだ、というのが、この本を読んで感じたことです。

安倍首相に抜かれるまで日本憲政史上最長の在任記録を持っていた人物にしては、そもそも桂太郎の知名度は低すぎます。また、知っていたとしても、大正デモクラシーにつながる国民運動によって打倒された藩閥政治家、というイメージが大きいのではないでしょうか。あるいは「十六方美人」「ニコポン(ニコニコしながら相手の背中をポンとたたいて丸め込む)」などのあだ名を思い浮かべる人もいるかもしれません。その一方で、在任中に、日英同盟の締結、日露戦争の勝利、韓国の保護国化と併合、関税自主権の回復などその後の日本を決定づける数多くのこと(今日の視点でみれば肯定的なことばかりではありませんが)を成し遂げたこと、明治42年度予算を前年比16.2%削減するなど緊縮財政にこだわり続けたことなどはあまり注目されていないように思います。

この本では、「十六方美人」たる桂が、どのようにしてこれらの事績をなしとげていったのかを、信頼できる一次史料に依拠しながら、丹念に、しかし、淡々とつづっていきます。伝記の執筆となると、対象の人物への思い入れが昂じて過剰に感情的な筆致になる例が見受けられますが、本書に関してはそのようなことは全くなく、冷静に読み進めることができます。

日本の財政赤字はすでに危機的状況ですが、新型コロナ禍の影響で財政の悪化に拍車がかかることは間違いありません。現在と当時とでは経済規模も社会背景も異なるとはいえ、桂の財政健全化への情熱とその実現のために発揮した調整手腕は、今あらためて注目に値すると思います。

また桂が推し進めた帝国主義的な対外進出は、いうまでもなく現在のいわゆる「歴史問題」の淵源となっています。「歴史問題」に対する意見や立場は人によって様々でしょうが、現状、大なり小なり日本外交の足枷となっていることは誰しも認めるところでしょう。そうであれば、どの立場からであれ、足枷のルーツをたどり、桂政権の外交軍事政策をきちんと分析することも重要なはずです。

あるいは処世術、出世術という面から桂太郎という人物に学ぶことは多いかもしれません。著者の言うところの「藩閥第1.5世代」の軍事行政家としてキャリアをスタートした桂は、はじめは木戸孝允、木戸の没後は山県有朋の庇護を受けながら、持ち前の調整能力を武器に、与えられた立場で眼前の課題を解決していくなかで政治家としての実力を磨いていき、やがて山県ら元老から自立した「国家財政統合者」として国政の中心で手腕をふるうことになります。「十六方美人」「ニコポン」などというあだ名はどうしても軽薄なイメージを与えますが、桂の調整能力を支えた処世術が、決してそんな安易なものではなかったことは、本書で紹介されている桂の処世訓からうかがえます。
将来人を服従させるには、まず人に服従する道を知らなければならない
実際、桂は山県に呼びつけられると、早朝だろうと休日だろうと駆け付けたと言います。これは単に権力者に盲従するということではなく、人の信用を得るためには労苦を惜しまない、ということなのでしょう。僕には到底真似できませんが、出世したい方には参考になるのではないかと思います。

そんなこんなで、桂太郎という人物について、もう少し関心が高まればいいなあと思わせる一冊でした。