汎兮堂箚記 #7 『平野五岳詩選訳注』(河内昭圓)

2020年7月12日日曜日

汎兮堂箚記 文学


書名

『平野五岳詩選訳注』

著者

河内昭圓

刊行

発行:日田専念寺 発売:朋友書店 平成22年10月発行

メモ

平野五岳(1809~1893)は幕末から明治を生きた僧侶で、豊後日田(大分県日田市)の真宗東本願寺派専念寺の住職をつとめながら、詩・書・画に非凡な才能をあらわして「三絶僧」と称された人物です。地元日田では五岳上人の書画を所蔵している家が多く、現在も広く尊敬を集めているそうですが、全国的にはそこまで有名とはいえないかもしれません。ただ、西南戦争直前に大久保利通から密命を受けて、西郷説得のため薩摩へ赴いたことから、一部の人からは非常に注目されている人物です。西郷本人に直接会えたかどうかはわかっていませんが、説得のためにどういう条件を提示した(するつもりだった)のか、歴史ファンの興味は尽きないでしょう。本書では、その際に西郷隆盛に向けて詠んだ詩も収録されています。

五岳上人は、11歳のときに広瀬淡窓の咸宜園に入門して学問の指導を受け、淡窓から詩才を高く評価されました。その詩は、専念寺に所蔵の『五岳詩稿』、『真宗全集』詩文部に収められている『五岳詩鈔』『続五岳詩鈔』『古竹老衲詩集』などに収録されているもののほか、大量に残されている書画に書きつけられたものが残されていて、郷土史家の中島三夫氏によれば千八百首ほどが確認できたとのことです。本書はそれらの詩の中から218首を選んで訓読・注釈・和訳を付した、貴重な労作です。

ただ、語釈や和訳に誤りが少なからずあるのが残念です。ここで全てを指摘することもできないので、主だったものをいくつか指摘しておきます。

P301 [141]「同前(秋晩漫成)」
結句「僅拂身邊互市塵」を「僅かに身辺の市塵に互(わた)るを払わん」と訓読していますが、「互」を「わたる」とは読まないと思います。「亙」の誤りでしょうか?「互」が正しいのだとすれば、ここは「互市の塵」と読むべきでしょう。「互市」とは貿易のことです。開国後の情勢を攘夷の視点から詠んでいるこの詩の内容からして、「僅かに払う 身辺 互市の塵(身辺に及んでくる異人との貿易のけがれを払うばかりだ)」と読むのが妥当です。P319 [149]「題二人對酌圖」でも八句目「國家得失互市裡」を「国家の得失 市裡に互(わた)る」と読んでいますが、ここもやはり「国家の得失 互市の裡」と読むべきでしょう。

P328 [154]「春初」
一句目「昨日東帝立(昨日 東帝立ち)」を「昨日、皇太子が新たに即位され」と訳していますが、明らかに間違いです。皇太子を「東宮」とは言いますが、「東帝」とは言いません。「東帝」は春の神のことで「東帝立」は立春のことです。この一句の読みを間違えているせいで、著者は
明治天皇が践祚即位したのは慶応三年(一八六七)一月九日であった。詩にいう「昨日」はこの日であり、「今朝」は一月十日ということになる。
と作詩の時期も間違ってしまっています。1867年の立春は2月4日、これは慶應2年12月30日にあたり、このときはまだ明治天皇は践祚していません。孝明天皇の崩御が公表されたのは慶應2年12月29日(1867年2月3日)、つまり立春の前日ですから、もしこの詩が1867年に詠まれたのだとすると、孝明天皇崩御公表の2日後、まだ践祚前の明治天皇のことを「猶主幼臣横 政令不出己(猶お主幼くして臣横(よこしま)にし 政令 己に出でず)」と詠んだことになり、不自然です。となるとこの詩は翌1868年の立春翌日、つまり1868年2月4日(慶應4年1月11日)に詠まれたものと考えるべきでしょう。この時期はまさに王政復古の大号令から鳥羽伏見の戦いで錦旗がひるがえり、旧幕府軍が江戸へ退却する時期ですから、佐幕の立場にあった東本願寺派の僧侶としては「猶主幼臣横 政令不出己」と詠みたくもなったはずです。

P356 [167]「薩人某來訪。席上賦贈」
五句目「都城營百二」の「百二」の語釈を「薩摩、大隅、日向にある百二の市町村」としていますが、そもそもこの詩が詠まれた時代に「市町村」などという概念が浸透していたとは思えません。「百二」というのはちゃんと典故のある言葉です。
秦形勝之國、帶河山之險、懸隔千里。持戟百萬、秦得百二焉。(秦は要害の地で、険しい山河に守られ、他の諸侯の土地からは遠く離れている。百万の兵が武器を手に押し寄せても、秦は百分の二の兵で防ぐことができる。) ―『史記』「高祖本紀」
つまり、堅固な要害の地であることの形容です。したがって、「都城營百二」の訳としては「街は堅固な守りを固め」くらいになるでしょう。P383 [182]の詩の結句「百二城皆舍衛城」の「百二」についても同じです。

P447 [215]「失題」
起句「五倫談罷又三乗」の「談罷」の語釈を「罷は、愚かで役に立たないこと。その愚かで役に立たないことに高い価値を見出す道家の教え」とし、【余滴】に「「談罷」は、五倫、三乗ほどに熟したことばではないが、語釈した意でよいかと思う」と書いていますが、全然よくはありません。「談罷」の「罷」は動詞について「~しおわる、~するのをやめる」という意味をあらわす助字で、詩ではいたってよく使う言葉です。ここでは「五倫(儒教で人が行うべき五つの道。仁・義・礼・知・信)について語り終わると、さらに三乗(仏教で悟りをひらき仏になることのできる三つの教え)について語る」という意味になります。

もっと細かい点を指摘すればまだまだありますが、この辺にしておきます。瑕疵ばかりあげつらっているように見えるかもしれませんが、五岳上人の詩業をこのようにまとまった形で整理し、世に出してくれた著者の労には賞賛と感謝を惜しみません。この本が世に出ていなければ、これだけの数の五岳上人の詩に触れることはできなかったでしょう。ヤフオクでこの本を落札できた幸運にも感謝です。

おりしも、先日の「令和2年豪雨災害」で五岳上人ゆかりの日田市も大変な被害を受けています。日田の人々の誇りであろう五岳上人の書画にも損壊の被害が出たのではないかと危惧するところです。報道で被害の甚大さを見るにつけ心が痛みます。なんとかして一日も早い復興がなるよう、祈りたいと思います。