汎兮堂箚記 #10 『火付盗賊改 ― 鬼と呼ばれた江戸の「特別捜査官」』(高橋義夫)

2020年10月25日日曜日

汎兮堂箚記 歴史

 


書名

『火付盗賊改 ― 鬼と呼ばれた江戸の「特別捜査官」』(電子書籍版)

著者

高橋義夫

刊行

中央公論新社 2019年8月発行(電子版)(紙書籍単行本は2019年2月発行)

メモ

著者の言う通り、火付盗賊改(火盗改)という江戸幕府の役職を、池波正太郎の『鬼平犯科帳』や『雲霧仁左衛門』で知った人は多いと思います。本書のタイトルの「鬼と呼ばれた」も明らかにそれを意識していると思われます。

著者は時代小説を多くものしている直木賞作家で、歴史学者ではありませんが、史料を丁寧に読み込んで信頼できる史実を描き出しています。内容としては、あとがきに「火付盗賊改という役人の銘々伝のようなものをこしらえてみようかと考えた」と述べるとおり、本書は火盗改という役職についての学術的・系統的な解説というよりは、いわば「火盗改列伝」のようなものになっています。

池波正太郎の小説とそれを原作にしたテレビドラマの影響で、火盗改といえば「鬼平」というほど、いわば代名詞になっていますが、史実としても長谷川平蔵は当時の庶民から「捕物名人」と評価されていて、小説さながらに人情深い面もあって実際に人気があったといいます。

ちなみに「鬼平」という渾名は池波の創作ですが、実は長谷川平蔵より前に「鬼」と呼ばれた火盗改がいました。「鬼勘解由」の異名をとった中山勘解由直守です。「男伊達」と呼ばれていた無頼の無法者たちの取締りに剛腕をふるい、江戸の治安回復に功績のあった人ですが、目明しの密告と拷問を多用して冤罪も多く生んだことから、長谷川平蔵とは逆に庶民から憎まれ嫌われたそうです。

本書に登場するのは大半がダメ火盗改で、汚職や不正などで断罪された者も多いのですが、個人的に(悪い意味で)印象に残ったのは塩入大三郎利恭です。この人は出世欲が非常に強かったようで、猟官のためにコネもカネも駆使したそうです。火盗改になりたいと考えた塩入は、現職者の森山源五郎の様子をストーカーまがいにうかがい、どこか弱っている素振りはないか探っていたと言います。少しでも弱っている様子があればそれを理由にして森山から自分への交代を上層部に願い出ようという魂胆らしいです。なんか怖いですね。最終的に、うまく権門に取り入って森山から火盗改の職を奪った塩入ですが、あろうことか、居間にあった刀を何者かに奪われ、それを取り返しに行って返り討ちにあって亡くなってしまいました。最後まで残念な人です。

大坂西町奉行時代に大塩平八郎の上司として、その性格と才能を理解して活躍させた矢部定謙も火盗改を経験しています。この人のキャリアをたどると、火付盗賊改→堺町奉行→大坂西町奉行→勘定奉行→西の丸留守居→小普請支配→江戸南町奉行→失脚・・・という流れになります。大塩平八郎が乱を起こした後、矢部が「大塩の乱は天下に弓ひく謀反ではなく、あくまで救民のための義兵だ」と語ったという証言が紹介されていますが、実際、矢部自身、権力者や同輩に忖度せずに不正にメスを入れていくところは大塩と共通するところがあります。その結果、庶民からは喝采を浴びますが、周囲にはたくさんの敵を作ってしまいました。最終的に、老中水野忠邦が画策した「三方所替(三大名の同時転封)」の非を暴いて撤回させたことで水野の面目をつぶしたために、水野一派から狙い撃ちされて、全く無関係の不正の責任をなすりつけられて失脚してしまいます。失脚した矢部は抗議のハンガーストライキを続けた末に亡くなりますが、この辺の信念の強さも大塩と共通しているように思えます。『時代小説評判記』などで知られる三田村鳶魚は矢部定謙が嫌いで「頗る陰の暗い人で、大いに探偵根性が突張っている」と評しているそうですが、これに対して著者は「鳶魚が忌み嫌うほどの悪人だったとは思えない。むしろ先見の明のある人だった」と反論しています。僕もこれに同意します。

鬼平や『雲霧』の安部式部が好きな方はもちろん、江戸時代に興味のある方には一読をおすすめします。ただ、用語の解説は最小限な感じですので、ある程度基礎知識があったほうが楽しめるかと思います。