汎兮堂箚記 #17 『椿井文書 ― 日本最大級の偽文書』(馬部隆弘)
書名
『椿井文書 ― 日本最大級の偽文書』(電子書籍版)著者
馬部隆弘刊行
中央公論新社 2020年5月発行(電子版)(紙書籍単行本は2020年4月発行)メモ
椿井文書とは、江戸後期の国学者椿井政隆(1770~1837)が大量に偽造した一連の古文書を指します。その量の膨大さ、種類の豊富さもさることながら、その内容が多くの公式な自治体史や一部の歴史学者の研究論文で正当な史料として引用されてきた(さらに現在なお引用されている)という点で、「日本最大級」の偽文書なのです。
著者は、博士課程時代に大阪府枚方市の市史担当部署に非常勤職員として勤務していた際に椿井文書と出会い、それが偽文書であることに気づいたことから、独自に周辺自治体へも調査を拡大していき、滋賀県から京都府、大阪府、奈良県にまたがる近畿一帯に椿井文書の分布が広がっていることを確認して、その全貌を明らかにしていきます。その過程はある意味、歴史学界にとっての「不都合な真実」を暴きだす戦いのようです。
椿井文書の多くが、中世の古文書を江戸時代に書き写したという体裁をとっているため、見た目の新しさによって偽文書と断じることはできませんが、中世・近世双方の歴史と古文書に通じた著者によって、その内容が中世に書かれた(あるいは描かれた)ものでないことが明らかにされます。中でも我々素人にとって最もわかりやすい偽文書の証拠が「未来年号」です。
未来年号とは、「令和元年3月」のように実在しない年代表記のことです(令和への改元は5月1日なので、3月の時点では平成31年)。令和改元の際は、事前に新元号が公表されていましたが、中世に改元の予告や事前公表があるわけもなく、改元前に新元号を知ることはできません。したがって、未来年号は後世に偽造されたことの動かぬ証拠になります。そして椿井文書にはこの未来年号が極めて多く存在するのです。そのことについて著者は、椿井文書の未来年号はミスではなく、意図的にそうしている可能性が高いと言います。万一、偽文書作成の罪に問われる事態になったときに、「冗談で作っただけ」と言い逃れる根拠にするためだと、著者は推察します。つまり、「ほら、これ、ありえない年月日にしてるでしょ。本気で人をだますつもりならこんなことするわけないじゃないですか。ふざけて作っただけなんですよ~」と言い訳できるというわけです。おそらくこの推察は正しいのでしょう。
実は椿井文書を偽文書だと指摘したのは著者が初めてではありません。すでに同時代から疑念の目を向けていた人たちはいましたし、戦前には京大の学者たちや近畿の在野の研究者たちの一部で椿井文書は偽文書であるという認識が共有されていましたが、戦後になって戦前の皇国史観からの脱却を急ぐあまり、戦前の研究成果や人脈との断絶が生じた結果、椿井文書についての認識も忘れ去られることとなりました。その後、高度経済成長期になって自治体史の編纂がさかんになる頃には椿井文書が「再発見」され、偽文書であると気づかれぬまま、各自治体史に引用されるようになり、一部の研究者も椿井文書を史料として利用するようになってしまいます。そして、いったん自治体という公的存在や専門家がお墨付きを与えてしまうと、正当な史料として信憑性を獲得し、年月の経過とともに地域のアイデンティティを支える素材として定着してしまいます。こうなると、椿井文書が偽文書であるという指摘を受けても、その事実を受け入れて椿井文書から脱却することは極めて困難になります。
椿井政隆自身が山城国相楽郡椿井村(現・京都府木津川市)出身であったため、その活動の中心は南山城地域であり、椿井文書の「被害」を最も大きく受けているのも、この地域だといえます。僕は前職時代、宇治市や城陽市に居住・勤務していたため、本書に登場する京都南部の地名の数々にもそれなりに馴染みがあり、読んでいてなんとなく複雑な思いでした。
椿井政隆が、これだけ膨大で多種多様な偽文書を作成した動機は、結局想像するしかありませんが、著者が「空想を楽しんでいるとしか思えない」「悪意というよりも、遊び心をもって自己満足のために作成」「椿井政隆の偽文書創作は趣味と実益を兼ねたものであったが、彼個人としては前者に重きを置いていたのではないだろうか」と指摘しているように、小遣い程度の金が稼げる趣味、それも人生を費やしたライフワークとしての趣味だったのだと思います。依頼に応じて偽の系図を作成して対価を得ていた記録が残っていますが、到底それで生計を立てられるような額でもなく、むしろ何の対価も得られない偽文書のほうが多かったことを考えれば、金銭が主目的ではなかったことは確かでしょう。お金にならないのにとてつもない時間と労力をかけて偽文書を作成し続けたのは、彼がそれを楽しんでいたからに違いありません。自分が望む歴史を自分の好きなように創作するというのは一種の快感をもたらす行為であり、その快感に比べれば、金銭や労力などどうでもいいことだったのだろうと思います。
著者は椿井文書を抹殺せよと主張しているわけではありません。偽文書である以上、歴史的事実を描いた中世史料として利用することはできませんが、このような偽文書が作られ、そして受容されていった背景・要因を研究するための近世・近現代史料としては貴重な史料的価値を持つのです。それゆえ、著者は「椿井文書と椿井政隆に対する私の愛情は、他のどのファンにも負けないはずである」と断言しています。
今から二百年前、たった一人で壮大な「フェイクヒストリー」を作り上げ、現在にいたるまで影響を及ぼしている椿井政隆と、彼が生涯をかけて作成した椿井文書は、「フェイクニュース」が世界を駆け巡り、かき乱し続ける今こそ、注目に値する存在ではないでしょうか。人はなぜフェイクを創り出し、なぜフェイクに魅かれるのか、我々はどうやってフェイクに対処すればいいのか、それを考えるヒントが、椿井文書の中にあるかもしれません。
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