伊藤博文の漢詩「題白雲洞」をめぐって
読売新聞で不定期に連載されている磯田道史先生の「古今をちこち」で、先日(10/11)、伊藤博文が広島県の宮島で詠んだ漢詩のことを取り上げていました。磯田先生は「武士の家計簿」などで有名な日本史学者で、古文書を丹念に読みこんで新史実を掘り起こすことにかけては余人の追随を許しません。この連載も毎回おもしろい内容で、いつも楽しく読んでいるのですが、今回の記事では残念ながら漢詩の解釈に明らかな誤りがありました。そこで、拙サイト「日本の漢詩文」で、問題の伊藤の漢詩「題白雲洞」を取り上げて、磯田先生の誤りについて触れておきました(「伊藤博文「題白雲洞」)。詳細はそちらの記事をご覧いただくとして、ここでは「日本の漢詩文」の記事で触れなかった点について少し書いておきたいと思います。
磯田先生の記事によると、宮島に取材に行った際に、伊藤博文が定宿にしていた「岩惣」の女将から、伊藤が自作の漢詩をかきつけた掛け軸を見せられたそうです。そこにはこう書かれていたようです。
金風颯颯夕陽中
閑倚濵樓對晩楓
勝景由來能引客
天妃留我醉殘雨
伊藤は後にこの詩を推敲して手直ししたようで、その手直ししたものが「題白雲洞」であり、没後に編纂された『藤公詩存』に収録されています。『藤公詩存』収載の「題白雲洞」については「日本の漢詩文」の記事をご覧いただくとして、ここでは掛け軸に書かれた上記の推敲前の詩について気になる点を述べておきます。漢詩に多少の知識のある人なら気付くと思いますが、この詩、結句が韻を踏み忘れています。この詩は七言絶句なので通常、第1・第2・第4句の末字で韻を踏みます(第1句については「踏み落とし」と言って韻を踏まない場合もありますが、第2・第4句については必ず韻を踏まなければなりません)。この詩の場合、第1・第2句は「中」「楓」がともに同じ韻に属しているのですが、第4句の「雨」は全く異なる韻になっています。日本語の音読みで読んでも「中(チュウ)」と「楓(フウ)」は同じ響きですが、「雨(ウ)」は全く響きが異なることがおわかりでしょう。本来なら、この「雨」の部分には「中」「楓」と同じ韻に属する文字が来なければならないのです。推敲後の「題白雲洞」では結句の「殘雨」が「殘紅」に改められており、「中」「楓」「紅」ときちんと押韻されています。
結句の韻を踏み忘れるというのは、とんでもないミスで、伊藤ほどの人物(伊藤博文は幕末から明治にかけての志士や政治家の中で一二を争う漢詩の腕前です)がなぜこんなミスを犯したのか不思議でなりません。よほど酔っぱらっていたのでしょうか。あるいは・・・磯田先生を疑うようで恐縮ですが、本当に「雨」なのでしょうか。実は別の字とかいうことはないでしょうか。無数の古文書を読み込んできた磯田先生が字を読み違うということはまずないと思いつつも、実物を見てみたいと思った次第です。
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