今年も備忘録として〇周年を迎える歴史上の出来事をまとめてみます。去年はのんびりしているうちに2月になってしまった反省から、今年はとりあえず概要を先に公開し、随時加筆していくことにしました。出来事の取捨選択は去年同様気まぐれであり、見落としもたぶんあるのでご了承ください。基本的に、直近200年くらいは10年区切り、それ以前は50年・100年区切りを目安にしつつ、今年と同じ干支である「壬寅(みずのととら)」の年は上記条件に関わらず取り上げることにしています。また、去年と違い、今年は人物の生誕年も一部取り上げています。


1月

中華民国成立110年(1912年1月1日)

1911年10月に勃発した辛亥革命により、多くの省が清朝からの独立を宣言。各省は共和制にもとづく中央政府設置で合意し、12月29日に孫文を臨時大総統に選出。1912年1月1日、孫文は南京で中華民国の成立を宣言し、臨時大総統に就任した。2月12日には清朝の宣統帝が退位し、清朝が滅亡するとともに中国における君主制が廃止された。


ルイ・ブライユ(1809~)没後170年(1852年1月6日)

6点点字(ブライユ式点字)を発明したフランスの盲学校教師。5歳のとき両目を失明。王立盲学校で教鞭をとるかたわら、フランス軍の考案した12点式の暗号をもとに、6点式点字を発明した。この点字はその後世界で普及し、視覚障碍者の学習、教育、コミュニケーションに大きく貢献した。肺結核のため43歳で亡くなった。ブライユの誕生日1月4日は世界点字デー。


大隈重信(1838~)没後100年(1922年1月10日)

佐賀藩の上士出身、幕末には志士として活動しながら長崎で西洋の学問を学んだ。維新後は明治政府の首脳に入り、参議、大蔵卿、外務大臣、内務大臣、農商務大臣などを歴任し、2度にわたって内閣総理大臣を務めた。また早稲田大学を設立するなど高等教育の充実にも尽力した。


世界初のインスリン投与100年(1922年1月11日)

1921年、カナダの整形外科医フレデリック・バンティングと医学生のチャールズ・ハーバート・ベストがインスリンを発見。翌年1月11日、カナダのトロント総合病院で当時14歳の1型糖尿病患者に世界初のインスリン投与がおこなわれた。インスリンの発見に対して、1923年ノーベル医学生理学賞が授与された。


日英同盟(第一次)締結120年(1902年1月30日) 壬寅

極東で南下政策を進めるロシア帝国に共同で対抗することを目的とした軍事同盟であり、この同盟締結により大英帝国の「光栄ある孤立」政策は終結した。当時の覇権国家である英国の支援を得たことが日露戦争(1904~1905)における日本の勝利に大きく寄与した。


2月

台湾の鄭氏政権成立360年(1662年2月1日=永暦15年12月13日) 壬寅

明の遺臣鄭成功が台湾のゼーランディア城を攻略してオランダ東インド会社を放逐し、以後、1683年まで鄭氏の政権が台湾を拠点として清朝への抵抗を続けた。


山県有朋没後100年(1922年2月1日)

幕末長州藩で高杉晋作や伊藤博文と活動をともにし、奇兵隊軍監などをつとめた。維新後は新政府に入って陸軍の創設に関わり、維新三傑亡き後は、長州閥と陸軍を掌握して政・官・軍に大きな影響力を持った。2度の首相のほか、内相や陸軍参謀総長、枢密院議長などを歴任し、伊藤や井上馨らとともに元老として重要国事に関与した。

ワシントン海軍軍縮条約締結100年(1922年2月6日)

前年から開催されていた史上初の軍縮会議「ワシントン会議」の結果、主力艦保有率を、米英:日本:仏伊=5:3:1.67とする海軍軍縮条約が締結された。同会議ではほかに、米英日仏が太平洋における相互の領土・権益の保証などを取り決めた四カ国条約、米英日仏伊中蘭伯葡が中華民国の領土保全、門戸開放などを定めた九カ国条約も締結された。この結果、協調外交により第一次大戦後のアジア太平洋地域の国際秩序を維持しようとするワシントン体制が確立した。

英女王エリザベス2世即位70年(1952年2月6日)

1926年4月21日生まれ。父ジョージ6世の崩御により25歳で即位。2007年4月に英国史上最高齢君主に、2015年9月に英国史上最長在位君主となった(いずれも2位はヴィクトリア女王)。また、2015年1月には世界最高齢在位君主に、2016年10月には世界最長在位の存命君主になっている。英国のみならず、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど14の英連邦王国の元首であり、それ以外の旧英領諸国も加盟するコモンウェルス(英連邦)の長でもある。

マーストリヒト条約調印30年(1992年2月7日)

正式名称「欧州連合条約」。欧州諸共同体加盟国の間で「欧州連合」を創設することを定めた条約で、通貨統合と政治統合について規定された。翌年11月1日に発効し、欧州連合(EU)」が発足した。


ルイ・ヴィトン(1821~)没後130年(1892年2月23日)

フランスのスーツケース職人(マルティエ)。トランクのメーカー・ルイ・ヴィトン社を創設し、各国の王族から重用されて世界的な評価を得た。彼の死後、ルイ・ヴィトンはさらに世界で最も有名なファッションブランドの一つに成長した。1987年にモエ・ヘネシーと合併してLVMHとなり、その後、ディオールやフェンディなども傘下におさめ、巨大ファッションブランドグループとなっている。

3月

芥川龍之介(~1927)生誕130年(1892年3月1日)

大正から昭和初めの作家。短編小説にすぐれ、『鼻』『羅生門』『地獄変』『歯車』などの作品を残したが、1927年(昭和2年)7月24日、服毒自殺した。この自殺は社会に衝撃を与え、後追い自殺をする若者も相次いだ。没後の1935年(昭和10年)、友人の菊池寛が芥川賞を創設し、日本を代表する純文学新人賞として現在も続いている。

オランダ東インド会社設立420年(1602年3月20日) 壬寅

オランダ政府からアジアでの貿易独占権を与えられた勅許会社。世界初の株式会社といわれる。単なる交易だけでなく、条約の締結や植民地の経営、軍事活動をおこなう権限を与えられていた。活動拠点としてアジア各地に開設されたオランダ商館は、江戸時代の日本の長崎出島にも置かれ、当時のヨーロッパ諸国として唯一対日貿易を許された。ライバルであったスペイン・ポルトガルの勢力をアジア貿易から駆逐し、「オランダ海上帝国」と呼ばれる海上覇権を確立してオランダ黄金時代の現出に大きく貢献した。しかし、英仏との度重なる戦争で次第に国力が衰退したオランダ本国は1795年にはフランス革命軍の支配下に入り、1799年12月31日をもってオランダ東インド会社は解散させられた。ナポレオン戦争終結後、東インド(現インドネシア)などの海外領土はオランダに返還されたものの、世界の海上覇権はすでに大英帝国のものとなっていた。

スタンダール(1783~)没後180年(1842年3月23日) 壬寅

19世紀前半のフランスの小説家。『赤と黒』『パルムの僧院』『恋愛論』などの作品で知られる。

井伊直政(1561~)没後420年(1602年3月24日=慶長7年2月1日) 壬寅

戦国・安土桃山時代の武将・大名。徳川家康に仕え、その天下取りに大きく貢献した功臣として徳川二十四神将のひとりに数えられる。関ケ原戦後、近江国佐和山に18万石を与えられた。佐和山藩は直政没後に彦根城の完成、石高加増により、彦根藩30万石となり、江戸時代を通じて譜代大名筆頭の扱いを受け、4人の大老を輩出した。

室生犀星(1889~)没後60年(1962年3月26日) 壬寅

詩人・小説家。「ふるさとは遠きにありて思ふもの」(『抒情小曲集』)で有名。詩のほか、小説や随筆も多く、また、故郷金沢や東京の多くの学校の校歌の作詞も手掛けた。


4月

上杉鷹山没後200年(1822年4月2日=文政5年3月11日)

出羽米沢藩第9代藩主。諱は治憲、隠居後に鷹山と号した。日向高鍋藩主秋月家に生まれたが、母方の祖母が米沢藩第4代藩主上杉綱憲の娘であった縁で養嗣子として上杉家に入った。
明和4年(1767年)に家督を継いで藩主となると、破綻寸前の藩財政の立て直しに取り組んだ。改革に反対する重臣の抵抗を退け、質素倹約の徹底や財政に明るい人材の登用などにより財政再建を成し遂げた。

フォークランド紛争40年(1982年4月2日~6月14日)

アルゼンチン沖の南大西洋上に浮かぶ英領フォークランド諸島(アルゼンチン名:マルビナス諸島)に対し、領有権を主張するアルゼンチンが侵攻して占領。英国は艦隊を派遣するとともに、経済制裁と外交交渉による解決を模索し、国連や米国をはじめとする各国政府も調停を試みたが、いずれも実らなかった。結局、英軍は被害を出しながらも同諸島を奪還し、6月14日、同諸島のアルゼンチン軍が降伏して戦闘が終結した。この敗北によりアルゼンチン軍事政権のガルチェリ大統領(陸軍総司令官)は失脚し、翌年の軍政終結・民政移管へとつながった。両国は1990年に国交を回復したが、アルゼンチンは現在も同諸島の領有権を主張している。

イースター島発見300年(1722年4月5日) 壬寅

イースター島は、南米チリから西へ3,700kmの太平洋上に位置する、全周60km、面積180km2ほどの島。1722年の復活祭(イースター)の夜、オランダの探検家ヤーコプ・ロッヘフェーンがヨーロッパ人として初めてこの島を発見した。上陸したロッへフェーンは千体を超えるモアイ像と二、三千人の住民の存在を報告している。ヨーロッパ人の到達以前に自然破壊と部族間戦争によって文明が崩壊していたとする説と、ヨーロッパ人による奴隷狩りと彼らによって持ち込まれた疫病の流行のために文明が崩壊したとする説がある。

聖徳太子(厩戸皇子 574~)没後1400年(622年4月8日=推古天皇30年2月22日)

用明天皇の第2皇子。叔母である推古天皇を補佐して政治をおこない、十七条憲法や冠位十二階の制定、遣隋使の派遣などにより、天皇中心の中央集権国家確立に寄与したとされる。政治的功績のみならず、様々な宗教的・神秘的伝説も伝えられて聖徳太子信仰が形成され、現在に続いている。現在の歴史学では、聖徳太子によるとされてきた事績をそのまま歴史的事実とすることには慎重な見方が大勢である。

石川啄木(1886~)没後110年(1912年4月13日)

明治時代の歌人・詩人。10代から浪漫主義文芸誌『明星』などで詩人として活動し、19歳で最初の詩集を出版したが、経済的に困窮し、代用教員や新聞の校正係などとして働きながら文学活動を続けた。明治43年(1910年)に刊行した歌集『一握の砂』で、三行分かち書きというスタイルと、生活の現実や人生の苦しみを直視する歌風が注目され、歌人として名声を得たが、翌年には病のため療養生活となり、明治45年(1912年)結核のため26歳で亡くなった。

タイタニック号遭難110年(1912年4月14日)

タイタニック号は1912年3月31日竣工した英船籍の豪華客船。同年4月10日に英国サウサンプトン港からニューヨークへ向けて処女航海に出発したが、14日深夜、ニューファンドランド沖で巨大氷山に衝突、翌15日未明に沈没した。犠牲者数は1513人に達し、当時史上最大の海難事故として世界に衝撃を与えた。

川端康成(1899~)没後50年(1972年4月16日)

近現代日本文学を代表する小説家として大正から昭和にかけて、『伊豆の踊子』『雪国』『山の音』『古都』など数多くの名作を著した。1968年には日本人として初めてノーベル文学賞を受賞したが、昭和47年(1972年)4月16日夜、ガス自殺した。

チャールズ・ダーウィン(1809~)没後140年(1882年4月19日)

英国の地質学者・生物学者。英海軍測量船ビーグル号での5年間の航海における調査・観察とその後の研究によって、共通の祖先をもつ生物が自然選択のプロセスを経て多様な生物種に進化するとする進化論を確立し、1859年に『種の起源』を出版して、現代まで続く進化生物学の基盤を確立した。

尾崎豊(1965~)没後30年(1992年4月25日)

1980年代~1990年代初めのシンガーソングライター。高校在学中の1983年(昭和58年)にデビュー。1985年のシングル「卒業」の歌詞の過激な表現に影響を受けた若者の行動が問題になるなどしたことから、「10代の教祖」と呼ばれた。1992年(平成4年)4月25日、26歳の若さで亡くなり、ファンのみならず広く社会に衝撃を与えた。

日本主権回復70年(1952年4月28日)

1951年9月調印のサンフランシスコ条約が発効し、GHQによる占領が解除され、日本は独立を回復した。


5月

講道館設立140年(1882年5月5日)

「柔道の父」嘉納治五郎によって創設された柔道の総本山。嘉納治五郎は、古武道である柔術の様々な流派を研究した末、それらを総合、発展させ、「精力善用」「自他共栄」を理念とする柔道を創始し、東京下谷北稲荷町の永昌寺境内の12畳の道場で講道館を設立した。武術の近代化という面で画期的な役割を果たし、近代日本の武道教育・普及に大きく寄与した。


萩原朔太郎(1886~)没後80年(1942年5月11日)

大正~昭和期の詩人。1917年(大正6年)に自費出版した第1詩集『月に吠える』で、それまでの詩の概念を破る斬新な口語象徴詩のスタイルが高い評価を受け、日本近代詩の新時代を切り開いた。その後も、『蝶を夢む』『青猫』などの詩集を発表して近代口語詩の確立者となった。

五・一五事件90年(1932年5月15日)

海軍の青年将校や陸軍士官学校生らが首相官邸を襲撃し、犬養毅首相を射殺した事件。襲撃を受けた際、犬養首相は「撃つのはいつでも撃てる。話を聞こう」と諭したが、士官らは「問答無用」と発砲した。被弾した後も犬養首相は「今の若いモンを呼んでこい。話して聞かせる」などと述べ、意識もはっきりしていたが、徐々に衰弱し、深夜に亡くなった。首相官邸以外にも、内大臣邸、立憲政友会本部、三菱銀行本店、警視庁などを襲撃する集団テロ計画だったが、犬養首相暗殺以外の襲撃は失敗した。

もともと事件は、ロンドン海軍軍縮条約(1930年)などの軍縮政策に不満を募らせた海軍青年将校らが陸軍や民間の活動家と共同でクーデターによる国家改造を計画したことに始まる。しかし、計画が停滞し、運動が分裂するうちに、政権はロンドン海軍軍縮条約を締結した民政党の濱口雄幸、その後任の若槻礼次郎から、彼らの内閣を打倒した政友会の犬養毅へと移っていた。このため、皮肉にも、かつて軍部とともに軍縮条約を批判していた犬養自身がテロの標的となってしまった。

事件によって、大正末期に確立した事実上の議院内閣制と二大政党制は終焉を迎え、犬養内閣は戦前最後の政党内閣となった。

沖縄復帰50年(1972年5月15日)

第2次大戦末期の沖縄戦の結果、沖縄は米軍の占領下に置かれた。1952年に発効したサンフランシスコ講和条約でも、沖縄は米国の施政権下に置かれるものとされた。米国は行政主席を長とする琉球政府と公選議員からなる立法院を設置して一定の自治を認めたが、琉球政府は米国民政府の指揮監督下に置かれ、最終権限は米国民政府が握っていた。戦後早くから日本への復帰運動が起こっていたが、ベトナム戦争の激化などで沖縄の軍事的重要性が増すとともに米国民政府からの圧力が強まり、運動は停滞した。1965年、佐藤栄作首相は「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国の戦後は終わらない」との声明を発し、沖縄返還を政策課題とすることを明確にした。1969年の日米首脳会談において、日米繊維交渉での日本の譲歩(繊維輸出の自主規制)、沖縄米軍基地の維持を条件として、ニクソン米大統領は沖縄返還を約束した。この交渉の過程で、「有事の際には事前協議のうえで沖縄への核の持ち込み、通過を認める」という密約が結ばれたことが後に明らかになっている。1971年返還協定が調印され、1972年5月15日、沖縄は日本に復帰した。

東ティモール民主共和国独立20年(2002年5月20日)

国際法上はポルトガルから、実際上はインドネシアの占領から独立。21世紀になって初の新独立国の成立。独立運動のシンボルであったシャナナ・グスマンが初代大統領に就任した。


広瀬淡窓(~1856)生誕240年(1782年5月22日=天明2年4月11日) 壬寅

江戸後期の儒学者、教育者、詩人。諱は建、通称は寅之助・求馬(もとめ)、淡窓は号。文化2年(1805年)、故郷の豊後日田に私塾を開き、これが文化4年(1807年)に移転拡張して桂林荘となり、さらに文化14年(1817年)に移転して咸宜園となった。咸宜園には、身分を問わず誰でも入塾でき、身分や年齢に関係なく平等に学ぶことができた。儒学のみならず、数学や天文、医学も講義され、毎月、試験による成績評価が発表された。このような教育が話題と人気を呼び、咸宜園には日本全国から学生が集まって、彼らのために寮も併設された。咸宜園は淡窓の没後も明治30年(1897年)まで存続し、高野長英や大村益次郎、清浦奎吾などの人材を輩出した。

東京スカイツリー開業10年(2012年5月22日)

既存の東京タワーの電波送信が超高層建築物の影響を受けるようになったこと、携帯機器向け放送の電波需要の増大などに対応する目的で、新電波塔の建設が計画され、2008年7月14日に着工、2012年2月29日に竣工した。2012年5月22日に電波塔・観光施設として開業した。高さ634mは、電波塔として世界1位、人口建造物全体でもアラブ首長国連邦のブルジュ・ハリーファ(828m)に次ぐ世界第2位。

長谷川町子(1920~)没後30年(1992年5月27日)

『サザエさん』『いじわるばあさん』を生んだ日本初の女性プロ漫画家。1935年(昭和10年)、15歳で漫画家デビュー、1946年(昭和21年)4月、夕刊フクニチで『サザエさん』の連載を開始、中断や連載先の変更がありながらも連載を続け、1951年(昭和26年)には連載先を朝日新聞朝刊に移し、新聞4コマ漫画の第一人者となった。その後『サザエさん』は、中断をはさみつつも1974年(昭和49年)まで新聞連載が続き、1969年(昭和44年)にはアニメ化されたこともあって、国民的漫画の地位を確立した。没後の1992年7月28日に国民栄誉賞が授与された。


与謝野晶子(1878~)没後80年(1942年5月29日)

明治~昭和期の歌人・詩人・作家。旧姓は鳳(ほう)、本名は鳳志やう(しょう)。ペンネーム「晶子」の「晶」は本名の「しょう」からとった。歌人・詩人の与謝野鉄幹主宰の文芸誌『明星』に短歌を発表して注目され、1901年(明治34年)刊行の処女歌集『みだれ髪』で女性の官能を情熱的に詠みあげて、浪漫派歌人としての地位を確立した。同年、与謝野鉄幹と結婚。1904年(明治37年)には、日露戦争に従軍した弟に呼びかける反戦詩「君死にたまふことなかれ」を発表して論争を呼んだ。夫の鉄幹の創作活動が長期に渡って不振に陥り、晶子が家計を支える必要に迫られたこともあり、旺盛な文学活動を続け、膨大な作品を遺した。源氏物語の現代語訳者や女性解放思想家としても知られる。

6月

ミッドウェー海戦80年(1942年6月5~7日)

第2次世界大戦の太平洋戦線におけるターニングポイントとなった日米両軍の戦い。中部太平洋に位置する米領ミッドウェー島の付近で両国海軍の空母機動部隊が激突した。日本は、ミッドウェー島を攻略することで米軍の空母部隊をおびき出してこれを撃滅することを作戦目的としていたが、結果は、投入した4隻の正規空母とその艦載機289機をすべて喪失し、3000人以上の戦死者を出すという大敗に終わった。米側も空母1隻と約150機の航空機を喪失するなど小さくはない損害を受けたが、残存する正規空母がわずか2隻となった日本海軍のダメージのほうがはるかに致命的であることは明らかであった。開戦以来半年間、連戦連勝を続けていた日本軍の快進撃がこの海戦で止まり、大幅な戦力喪失によって、日本が開戦前に企図していた短期決戦勝利による早期講和が事実上不可能となった。この海戦後もしばらくは日本軍が局地的な勝利をおさめることもあったが、米軍との圧倒的な戦力差はもはや埋め難く、挽回不能な劣勢の中での戦いを余儀なくされていくこととなる。

石川丈山(1583~)没後350年(1672年6月18日=寛文12年5月23日)

江戸初期の日本漢詩を代表する詩人・文人。徳川家譜代武士の家に生まれ、自身も家康の近侍となり忠勤を評価されていたが、大阪夏の陣で抜け駆けをして厳しく譴責されたことから徳川家を辞して浪人となった。その後、藤原惺窩に師事して儒学を学び、母を養うために和歌山(のち広島)の浅野家に使えたが、母の死後に致仕して京都に移った。寛永18年(1641年)、洛北の一乗寺村(現在の京都市左京区一乗寺)に「凹凸窠」を建てて、そこで隠棲した。その室内には、中国の詩人36人の肖像画(狩野探幽作)を掲げたことから、凹凸窠は「詩仙堂」と呼ばれるようになった。丈山の没後、詩仙堂は曹洞宗の寺院丈山寺となり、現在では京都を代表する観光地となっている。漢詩以外にも、書道、作庭、煎茶などに精通しており、詩仙堂の庭園「百花塢」のほか、東本願寺の渉成園や一休寺(酬恩庵)の石庭なども丈山の手によるものとされる。

伝教大師(766 or 767~)最澄没後1200年(822年6月26日=弘仁13年6月4日) 壬寅

平安初期の僧侶。日本天台宗の開祖。近江国の豪族の家に生まれ、宝亀11年(780年)、近江国分寺で得度。延暦4年(785年)には東大寺で受戒して官僧となった。同年から比叡山に籠もって修行を積み、延暦7年(788年)に山中に建てた草庵がのちに延暦寺となる。延暦16年(797年)には、宮中で天皇の安寧を祈る内供奉十禅師に任じられた。延暦23年(804年)の遣唐使に参加して唐に渡り、天台山を訪ねて天台教学を学んだ。翌年、帰国して日本に天台教学を伝え、延暦25年(806年)、正式に許可を得て日本天台宗を開いた。弘仁13年(822年)2月に伝燈大法師の位を授けられ、同年6月入滅。貞観8年(866年)に、伝教大師の諡号がおくられた。

ロードス包囲戦500年(1522年6月26日~12月22日)

聖ヨハネ騎士団が支配していたロードス島へオスマン帝国軍が進攻して制圧。聖ヨハネ騎士団はヴェネツィア領クレタ島に退去。その後はシチリア島などを転々としたのち、マルタ島を拠点としてオスマン帝国への抵抗を続けた。


湊川神社創建150年(1872年6月29日=明治5年5月24日)

楠木正成を祭神とする神戸市の神社。愛称は「楠公さん」。楠木正成は鎌倉末期から南北朝期の武将。軍略の天才にして後醍醐天皇への忠義を貫いた忠臣として知られる。1336年、湊川の戦いで足利尊氏に敗れて自害した。没後、その首は家族に返され、観心寺(現大阪府河内長野市)に葬られたとされるが、それとは別に、殉節地から百弓離れた地に墓所が営まれ、それが文禄年間(1592~96)の太閤検地によって発見され、墓域は免税地となった。江戸時代になると、尼崎藩主青山幸利が正保3年(1646年)、その墓所に供養塔を建て、さらに元禄5年(1692年)、水戸光圀によって今日まで残る墓碑が建立された。墓碑の表には光圀自身の筆による「嗚呼忠臣楠子之墓」という文字が刻まれている。幕末以降、尊皇思想の広がりとともに楠公顕彰の機運も高まり、明治5年5月24日(1872年6月29日)、墓所と殉節地を含む約七千坪を境内とする湊川神社が創建された。

7月

ウィリアム・フォークナー(1897~)没後60年(1962年7月6日) 壬寅

20世紀米国文学を代表する巨匠。1949年ノーベル文学賞。『サンクチュアリ』『八月の光』など。生涯の大半を過ごしたミシシッピ州ラファイエット郡の田舎町オックスフォードをモデルにした架空の町ヨクナパトーファ郡ジェファソンを舞台とする多数の小説は、同一登場人物が複数作品に登場するなど相互に結びついており、総体として「ヨクナパトーファ・サーガ」と呼ばれる。その先駆的・実験的手法や土俗的・因習的な主題などは、コロンビアのガブリエル・ガルシア=マルケス、中国の莫言、日本の井上光晴、大江健三郎、中上健次ら、後世の作家に影響を与えた。


森鷗外(1862~)没後100年(1922年7月9日)

近代日本文学を代表する作家にして陸軍軍医。明治の近代日本草創期から大正期にかけて、小説のほか、翻訳、評論など幅広い文筆活動を続け、訳詩編「於母影」、翻訳「即興詩人」、小説「舞姫」「ヰタ・セクスアリス」「雁」「阿部一族」「高瀬舟」などの作品をのこした。また、軍医として陸軍軍医総監・陸軍省医務局長(陸軍軍医のトップ)にのぼったほか、退役後も帝室博物館(現:東京国立博物館)総長や帝国美術院(現:日本芸術院)初代院長をつとめた。

メンデル生誕200年(1822年7月20日)


山内容堂(豊信)没後150年(1872年7月26日=明治5年6月21日)


明治天皇(1852~)崩御・大正改元110年(1912年7月30日)


8月

アレクサンダー・グラハム・ベル没後100年(1922年8月2日)


松本清張没後30年(1992年8月4日)


マリリン・モンロー没後60年(1962年8月5日) 壬寅


柳田國男(1875~)没後60年(1962年8月8日) 壬寅


ヘルマン・ヘッセ(1877~)没後60年(1962年8月9日) 壬寅

20世紀前半のドイツ文学を代表する作家。1946年ノーベル文学賞。『車輪の下』など


パスカル没後360年(1662年8月19日) 壬寅


アヘン戦争終結180年(1842年8月29日=道光22年7月24日) 壬寅


9月

初の世界周航達成500年(1522年9月6日)

1519年にスペイン・セビリアから出航したマゼラン艦隊のうちの1隻、ビクトリア号がフアン・セバスティアン・エルカーノに率いられてスペインに帰還。史上初めて世界一周航海を達成した。マゼラン自身は1521年にフィリピンで戦死した。


ブラジル独立200年(1822年9月7日)


吉川英治(1892~)没後60年(1962年9月7日) 壬寅


乃木希典(1849~)没後110年(1912年9月13日)


小泉訪朝20年(2002年9月17日)

日本の首相として初めて北朝鮮を訪問し金正日と会談。金正日は日本人拉致問題を公式に認め、10月15日、拉致被害者のうち5人が日本に帰国したが、その後、北朝鮮は「拉致問題は解決済み」と強弁し、解決に向けた取り組みは困難を極めている。


正岡子規(1867~)没後120年(1902年9月19日) 壬寅


エミール・ザトペック(~2000)生誕100年(1922年9月19日)

「人間機関車」の異名をとったチェコの長距離陸上選手。ヘルシンキ五輪(1952年)で、空前絶後の5000m・10000m・マラソンの長距離3冠を達成した。インターバルトレーニングの創始者としても知られる。

リンカーンの奴隷解放宣言160年(1862年9月22日)


柴四朗(東海散士 1853~)没後100年(1922年9月25日)

明治のナショナリズム小説『佳人之奇遇』を執筆した小説家。『佳人之奇遇』は1885年(明治18年)の初篇刊行以降、1897年(明治30年)まで全8篇16巻が刊行され人気を博した。政治家としても活動し、農商務次官、外務参政官などを務めた。

日中国交正常化50年(1972年9月29日)


10月

日本初の鉄道正式開業150年(1872年10月14日)


頼山陽(1780~)没後190年(1832年10月16日=天保3年9月23日)


キューバ危機60年(1962年10月22日~11月20日) 壬寅

ソ連がキューバに核ミサイル基地を建設していることが発覚したことから米国がキューバを海上封鎖し、米ソ間の緊張が高まって核戦争勃発の危機に瀕した。


11月

北原白秋(1885~)没後80年(1942年11月2日)


オスマン帝国滅亡100年(1922年11月17日)


マルセル・プルースト没後100年(1922年11月18日)


ニールス・ボーア没後60年(1962年11月18日) 壬寅

デンマークの理論物理学者。原子の構造を説明する「ボーア・モデル」を提唱し、量子力学の確立に大きく貢献した。


フグ田サザエ生誕100年(1922年11月22日)

原作の設定で、1922年(大正11年)11月22日生まれとされている。

12月

中島敦(1909年)没後80年(1942年12月4日)


アイルランド自由国成立100年(1922年12月6日)


諸橋轍次没後40年(1982年12月8日)

『大漢和辞典』を編輯した漢学者(1883年6月4日~1982年12月8日)


アポロ計画終了50年(1972年12月19日)

12月7日に打ち上げられたアポロ17号が月面探査を終えて帰還し、1961年に始まったアポロ計画が終了した。2022年1月時点で最後の有人月面探査。


清の聖祖康熙帝没後300年(1722年12月20日=康熙61年11月13日) 壬寅


パスツール生誕200年(1822年12月27日)


ソビエト連邦成立100年(1922年12月30日)